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PEOPLE MAGAZINE, Issue No. 31, July 1995


1993年冬、華健はアルバムのプロモーションのために初めて香港を訪れた。華健一行がRunning Horse(漢字よろしく)近くの丘に着いた時には、あたりは既に暗くなっていた。丘の上に立ち、夜景を眺めながら、華健は何軒かの家を指差し、クルーに尋ねた。「香港が本当に望む音楽とは、どういうものなんだろう?僕が香港のすべての家庭に受け入れられるのは、いつのことだろう?」

それから2年経った今、華健は香港を征服した、明かりのある所にはどこでも華健がいる、と言っても差し支えはなかろう。華健は「5人目の天王」とか「天王の後継者」という肩書きの代わりに、もっとインパクトのある肩書きをもらった。「天王キラー」だ。

華健は19歳で初めて台湾にやって来て、しばらくすると基本的には自らを台湾人と考えていた。華健はかつてこう言ったことがある。自分にとって香港は旅行と仕事のための場所にすぎない、と。しかし、すべてが変わった。今や華健は香港のスーパースターである。香港に対する彼の考え方も、いずれ変わるだろう。


華健の価値は200万香港ドル

昨年、Single Pure Music Concert(漢字よろしく)というTVショーがヒットし、華健は香港を征服した。それを皮切りに、華健の広東語のアルバムは飛ぶように売れたし、多くの映画プロデューサーが彼に目をつけている。香港のメディアは彼を「新富豪」と呼んでいる。華健の1年の稼ぎは約200万香港ドルと推定され、台北に1億香港ドルを超える家を買うとの噂まである。華健の香港での成功ぶりがわかろうというものだ。


香港:売れる音楽は?

金は華健を変えるか?「以前、人が香港でどれだけの金を稼ぐことができるかを見た時は、ジェラシーを感じた。」自称「ミュージック・ガイ」の華健は、香港の音楽界が好きではなかった:音楽については近視眼的、ルックスがすべて、新しいスタイルに及び腰、ひ弱な文化。こうした要素は台湾と何の関係もないが、台湾のエンターテインメント業界を牛耳ってきたのは、そういったパフォーマーたちだった。そして華健のような台湾のエンターテイナーの多くは、台頭する香港勢より優位に立とうとして、「香港に音楽はない」と言い始めていた。

そうこうするうち、華健は突然、奇跡を目の当たりにした。自分自身が一夜にしてそうした香港のトップ・エンターテイナーの仲間入りをしてしまったのだ。その後は、負け惜しみの意味がなくなった。

この変化によって華健は新たな理解を得た。「香港では音楽市場がとても小さい」と彼は言う。華健のアルバムが香港で飛ぶように売れているからといって、台湾での売れ行きに比べたら3分の1にも及ばない。「しかし香港は娯楽市場の中心だ」と華健は言う。台湾では、歌手は音楽の印税からしか収入を得られない。一方、香港では至る所に金が転がっている:開会式、コマーシャル、映画、そして何よりも ─ コンサート。「台湾市場は大きい」と華健。「しかし香港では、短時間で倍稼げる」。


天来の征服者:華健の責任

単に金を稼ぐだけでいいのか?華健はこれを自らの目標に掲げた:彼は1997年までにここに中国市場を作りたいと思っている。華健の計画は、巨大市場になるために世界中のすべての中国人にこの資源を利用してもらうことだ。「これは僕にうってつけの仕事だ!」と、華健は誇らしげに言う。言葉の問題はないし、台湾と香港は彼にとって非常に身近だし、人々は彼を家族のように扱ってくれる。

「香港は膨大な[輸出品]のための場所だ。」華健はその言葉に特別な意味を持たせて使っている。「例えば天安門事件:その発生、メディアの報道、支援の抗議 ─ それはすべて香港から始まった。怖くないですか?」華健には香港と中国と台湾を結び付けるという責任がある。その仕事のことを考えて大笑いする。香港ではその笑いは「周華健のビル破壊笑い」と呼ばれている。


かけがえのない子供時代

生まれてから20歳までは広東人、21歳から34歳までは台湾人。華健はかつてそう言ったことがある。香港は彼にとって不慣れな土地だが、今また戻ってきた。昔とはすべてが違っている。台湾には成長期の想い出があるが、香港には子供時代の想い出が残っている、と華健は言う。

「あんな親類たちや近所の人たちは、ほかのどこへ行ったっていやしない。」華健にとって香港への「里帰り」が本当に素晴らしいことなのは一目瞭然だ。華健の育った場所を訪れると、華健が近所の人たちに非常に親しみを感じながらも、その感情をどう表現していいかわからないでいることが感じ取れる。車の中では昔住んでいた家や近所の人たちを楽しそうに指差すのに、車を降りると昔の家に近付きすぎないよう説得しようとする。車が彼の昔の家を通り過ぎると、華健は振り返って長いこと見つめている。華健は、見知らぬ人間がいることで自分の感情を押し隠すことに、少しばかり居心地の悪さを感じているようだ。その場を盛り上げようと、彼は話題を変える。「おかしいよね。有名になったら、昔の友達を訪ねて僕がどうしているかなんて言う必要がなくなったんだから」と言う。「メディアが全部やってくれたんだ。すごく面白くない?」


昔の友達:会うべきか会わざるべきか?

世間が知っている華健は、心に思っていることを隠せない人間だ。それは今回も例外ではない。「この前ここに帰ってきた時、小学校のクラスメートに会った」と、華健は小さな声で言う。「彼に見られたと思って電柱の陰に隠れた。しばらく考えてから、思い切って出ていって挨拶したんだけど、それが間違いだった。彼が村中に響き渡るような声で『スーパースターが来たぞ』って言ったんだ。みんなワイワイ言いながら飛び出してきて、僕の家族を困らせるし、ずいぶん迷惑したよ。質問攻めにされるし ─ もう最悪だった!」

華健はとても思いやりのある人間だ。彼は言う。昔のクラスメートが家族を持ち、あの小さな村で生涯を送るのを見てノノそれから自分を見てノノまたほかの人たちを見るとノノたぶん帰ってこないことが一番いいことなんだろうと思う、と。


想い出のギター

華健が14歳の時、兄が台湾から持ち帰ったギターをくれた。歌の好きな子供なら跳び上がって踊り回るのが普通だが、華健少年はつまらなそうにギターをとると、台湾の民謡を弾いて歌った。あれから20年、ギターを弾いて歌うのは子供ではない。先週、某TV番組に出演した華健は、ギターを弾いて歌うようリクエストされた。ただそれだけなのに観客は大喜びし、彼が稀に見る才能の歌手であると納得した。突然昔に戻ったような気がして、感動的な瞬間だった、と華健は言う。

「香港はあまりに退屈で、あまりに空虚で、何の選択肢もない。何をやったところで、アイドルも才能ある歌手も十把一からげ ─ ただの『商品』にすぎない」と華健は考えている

華健は7月末に台湾で、来年は香港でコンサートを開く。華健はコンサート会場となるスポーツアリーナをチェックしに行った。アジアで最も有名なスポーツアリーナでどんなパフォーマンスを見せられるか考えながら、華健は興奮していた。「僕は夢を見ているのかな?ここでコンサートを開くんだよ!」

香港は華健が育った所であり、華健が台湾で暮らしている時に夢見る所で、華健が仕事場として夢見たことがない所でもある。しかし突然、華健は最も年を取ったアイドルになった。最初の結婚している「夢の恋人」、フレッシュでピュアなソングライター。香港はついに華健の「最真的夢」になった。

翻訳者:小林 明男

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